ネオンが美しい銀座
銀座といえばネオン、ネオンと銀座は切っても切れない関係ですが、その銀座のネオンが消されたのは、過去3回。戦時中とオイルショック時、そして今年の全ネの消灯パフォーマンスです。ネオンの変遷、消えた時のもろもろの履歴書
をつぶさに記憶してこられたのが石丸雄司さんです。「銀座の役にたつことならなんでもやるところ」石丸さんは大銀座の裏方「銀座通連合会」の事務局長です。
銀座のネオンの生き字引のような方とお聞きして、白髪の長老を想像していましたが、お若いのでエッと、思いましたが・・・。
銀座に関わって約40年です。戦時中のことはほとんど先輩からの受けうりですよ。(笑)終戦直後の昭和20年11月にはいち早くバラックですが、もう街並みをつくっている。銀座復興の噂は、復員兵たちによってまたたくまに全国に広がったと聞いています。銀座はあの時代の希望の星だった。裸電球でしょうが、明かりにはそういう力があるんですね。屋上にネオンサインが点き始めると、あたかもネオンが『GOサイン』を出しているようでした。
オイルショックの時は、私も昭和ネオンの高村さん(前全ネ協理事長)たちと通産省に陳情に行きました。ネオンを消すということは、省エネにもたいしてならない。エレベーターを1基止める方がよほど省エネになる。と、これはそのとき勉強したんですがね、それより気分消沈の代償のほうが高くつくってね。
日本ではネオンはともすれば景観の邪魔物扱いされてしまうんだけど、ただたんにヨーロッパにかぶれているだけなんだよね。これは持論ですが、ヨーロッパは王さまが造った都市で、明かりとコスト仕事
が根づいている夜の長い国なんだよね。ネオンイコールきたないじゃなくて、ビル街に必然性がある。アジアの特性を活かした景観があるはず。東洋の究極が銀座にある。それに、ネオンはある種の『散歩心理』を満足させてくれるんですよ。
オイルショック時、ネオンが消されていく様子をずっと見ていらした?
森永の地球儀のネオンが消えた時はいうに言われぬ憤りを感じましたね。当初、森永の広報室では『あのネオンは一森永のものではなく、国民のもの。当社の一存で消すことはできません』と、言っていたんですが、新聞が『何故消さないネオン』という特集をやってその、翌日から消されてしまった。戦時中の魔女狩りと同じだと思いました。寂寞感を感じましたね。結局、森永のネオンはオイルショック後一度も点かなかったんです。昭和48年の夏には解除になったけれど、それ以降銀座のネオンは全体的にクールというか、なにかとりすましたような感じにかわってきたように思います。
長期間ネオンを消しているとネオン管も傷むので、再び点いたネオンも結局は付け替えることになったんじゃないですか。あの時たった一つ消えなかったネオンがあるんですよ。岡本理研のネオン。有楽町の駅のホームからよくみえた。あれはどういう訳だったんだろうと、今でも思いますよ。
先日の30周年記念のネオン消灯パフォーマンスでは銀座通連合会の方々に大変お世話になり、ありがとうございました。
一つのネオンサインに関係者が4つ、5つあるですよ。ビルのオーナーからビルの電気工事に関わった所まで含めると。陰ながら力添えできてよかった。 私も皆さんと一緒に消灯の瞬間を見守りました。数分でしたが、再び点いたときはやっぱりいいなと改めて思いましたね。 銀座の屋上のネオンサインは企業にとって一つのステータスですが、ネオンが持つ特性として、精神性も感じます。社会に与える影響は小さくない。たまさかネオンのない街に行ったら妙に寂しいですものね。猥雑であろうが、ネットキャッシング
や袖看板はビル街の必然ですよ。
好きなネオンはありますか?
私自身はネオンの聞かせどころを楽しんでいる。色によって天気予報や公害気象など情報発信をしているネオンがあって、ああ明日は雨だなんて必ず見上げている。
銀座は、デパートまでもが、ルイヴィトン〜。
すげー。
リッチやなあ。
自分にとって銀座と言えば、銀座四丁目交差点で、何度と無く横断歩道を渡っている。地下鉄駅を上がればすぐある交差点で、何と言っても銀座を象徴する建物が四隅にあり、日本で一番有名な交差点と言える。そんな交差点近くにあるのがこちら。地価も半端ではない筈だが、そんな事をよそに風情よく佇んでいた。 創業30年を越す、銀座の有名ラーメン店で、麦みそらあめんが一番人気らしい。チェーン店の「味の時計台」とは、全くの無関係らしい。薄汚れた店内は、昭和にタイムスリップした様で、この自然な薄汚れた壁が、逆に好きな雰囲気と言えた。カウンタ席に案内を受け、座ってメニューを見上げ、麦みそチャーシューらしい、みそ焼肉めん1200円をお願いする。やはり地価が思い浮かぶ値段。普通盛りで麺1.5玉だそうで、充分な量らしい。程なく到着。 豚骨鶏がらのオンラインゲーム に、麦味噌の他数種類の味噌を合わせているそうで、どちらかと言えば懐かしい味わいが良いラーメン。麺が低加水気味で縮れており、独特な舌触りが面白い。チャーシューも比較的良く出来ており、飲み口も意外とさらっと来て良かった。生にんにくの他に、擦り生姜があり、それを後半に入れて楽しむ事も出来た。 銀座コージーコーナーの「クレープ 苺」:やさしい食感のクレープ生地で苺風味のクリームをふんわり巻きました。甘酸っぱい爽やかな味わいが楽しめる春色クレープだそうな・・・ クレープは、やはり、好きかも。何重にも巻かれた柔らかクレープの間に挟まれた苺風味のクリームと中心に詰った苺クリームが柔らか皮と絶妙にマッチして美味しいです。 銀座コージーコーナーの「小鳥のワッフル 抹茶マロン」:ふんわり軽いくちどけの生地とまろやかなクリームのハーモニー。とろけるような、やさしい食感のワッフルです。抹茶クリームにつぶつぶマロンをぎゅっと入れたそうな・・・見た目は、洋風どらやきかな。。。 やはり、クリームは、抹茶味に限ります。クリーム系では、1番抹茶、2番バニラ、3番チョコでしょうか?適度な甘さの抹茶クリームで、いけてます。ただ、マロンは何処へ・・・ グレイトーンの冴えない曇り空が辺りを覆う、そんな霜月半ば近い休日の日曜日だった。 冴えない空と言えば子供の頃に、光化学スモッグ警報があったが、その発令も随分と遠い過去の話しになった。高度成長経済の佳境の時期には、その警報も聞かなくなり今日に至っている。閑話休題。 世界でただひとつの「銀座生まれ」のマカロン。 薄いマカロンにラム酒の利いたレーズンとバタークリームを挟んだ、レーズンウィッチ的なユニークなマカロン。 艶やかな表面としっとりした食感もその特徴の一つです。 新鮮な卵白に紛糖を加えて極限まで泡立て、上質なアーモンドプードルを混ぜてから、徹底的に気泡をつぶすため、薄くつややかに仕上がります。 また、高温かつ短時間で焼き上げるのもポイントです。バタークリームは、卵黄とシロップを攪拌したパータ・ボンブに発酵バターを合わせたもの。 少量でもコクがあり、更にラム酒の効果で味に切れがあります。 銀座の食や文化を考える市民の有志たちが集まり、 銀座を活性化させたいという想いから養蜂を思いつきました。 紙パルプ会館の屋上では銀座生まれのミツバチが浜離宮や皇居、マロニエ通りの花から蜜を集めてきます。 “銀座で生産したものを銀座で消費すること”を目的に採取したハチミツは、糖度79%の美味しいハチミツ。 1週間で20キロ以上もの蜂蜜が採れるそうです。 「銀座で生産したものを、ここ銀座で消費する。地域の協力を得ながら銀座を元気にしたい」と言います。 そんな今日は、あの銀座4丁目交差点から程近い場所にも係わらず、昭和の面影を十二分に残す路地に佇む、こちらへまた訪れる事にした。 何故なら一度訪問して、しょうゆラーメンも食して見たいと思っていたが、新店ラッシュもありそのままになってしまった。そんな矢先に何と残念にも、こちらが今月の22日を以て閉店してしまうらしく、このままでは一生こちらの醤油味にありつけなくなってしまう。 神田のホビー店にも行きたくなり、こちらにも出掛ける事にした、日曜日のランチ時だった。 山手線電車を利用してJR有楽町駅で下車し、ソニービルを横目に数奇屋橋交差点を渡り、歩行者天国の銀座4丁目交差点付近を過ぎ、こちらがある路地の入り口に到着。銀座と言えば、柳と言われた時代から佇んでいた様な、数店舗が軒を連ねている中の、そんな一角のラーメン店。 店内に入ると、カウンター席の一番手前に案内を受け、予定通りこちらの醤油チャーシューになる、正油焼肉めんをオーダーした。しばらくすると、その昔にモガ・モボと言われた様な、かなりご高齢の老夫婦も入店して来た、そんな銀座の人気ラーメン店だった。 禁煙にせずタバコの煙りが時折り宙を漂い、煤けた壁に染み付いた風情は、作ろうとしても作れない歴史ある店の証し。程なく到着したラーメンは、この街からも間もなく消えて行くであろう、昭和の佇まいがドンブリの中に存在していた。 それではと口にして行けば、それはもう、旨い旨い旨い旨い旨い旨い旨い旨い旨い。軽く生姜を効かせたしょうゆスープは、じんわりとスローモーションの様に、うま味を舌に伝えて来た。 中太ちぢれの麺はプルプルとしていて、あっさりとしたスープを上手く絡ませて来た、そんな良き時代のラーメンだった。 途中で、卓上のスリ生姜とスリ大蒜を軽く入れれば、また更なる味わいが、モダンに感じるようでもあった。チャーシューがまたとても美味しく、濃い色のメンマに時代を感じさせ、気が付けば完食だった。 精算時に、遠くに移転して再開する、予定がないかお聞きしたが、そうする予定はないそう。美味しさに対してのお礼の言葉を投げて、そのお店を後にした。 路地の出口で振り返れば、色褪せた天然色の小看板が並ぶそんな路地に、それは静かに天空から雨が降り出していた。銀座四丁目の交差点に戻ると、まるで夢から醒めた様に、現実に引き戻された感覚となった。 そして何気なく上を見上げると、銀座和光の時計台がビルの改修工事により、工事用のカバーですっぽりと覆われていた。その昔銀座には、十か所に及ぶ時計台があったと言う。 そう言えば味噌ラーメンが人気と言う事で、関係の無いチェーン店と同じ様に、札幌の時計台が由来の店名と思っていたが、ちょっと考えれば気づくように、銀座和光の時計台を指した店名のこちらなのだろう。 奇しくも、その和光の時計台が工事用のカバーで覆われた時期に閉店して行くとは、何と言う時代の悪戯なのだろうか。目を下ろすと、三愛のビルに、ドトールコーヒーショップが、入っていた。JR有楽町駅へ、また足を進めてゆく。